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自由雲
買い物がてら参道をふらっと走ると、自由雲(じゅん)のペイントが変わっていた。
53年もこの地で営業を続けているサントリーバーだ。

「楽しいね この人生」
87歳になるマスターは、その昔、浜口庫之助さんとバンドをやっていたベーシストだそうで、学徒動員で
満州に出兵した経験もあるそうだ。
ハイボールを飲みなが昔の話を聞いていると、この店の中だけ時間が止まっているような雰囲気になる。
どうか来年も元気でお店を続けてください。
皆様、本年はいろいろとお世話になりました。
ありがとうございました。
どうか良いお年をお迎えください。
53年もこの地で営業を続けているサントリーバーだ。

「楽しいね この人生」
87歳になるマスターは、その昔、浜口庫之助さんとバンドをやっていたベーシストだそうで、学徒動員で
満州に出兵した経験もあるそうだ。
ハイボールを飲みなが昔の話を聞いていると、この店の中だけ時間が止まっているような雰囲気になる。
どうか来年も元気でお店を続けてください。
皆様、本年はいろいろとお世話になりました。
ありがとうございました。
どうか良いお年をお迎えください。
▲
by grid303
| 2009-12-30 12:54
| Others
|
Comments(6)
美味しい挨拶
杉の木とT先輩に年末の挨拶に行った。
という理由で中延に一杯呑みに行った。(笑
今宵の肴は「ぶりカマの塩焼き」と「もつ煮豆腐」、どちらも最高の塩梅だった。
蒲田行き最終。

帰宅してから録画していた「フィギュア全日本選手権女子ショート」を見た。
久しぶりに見た浅田真央の笑顔と鈴木明子の安定した演技に安心する。
15歳の村上佳菜子のフレッシュな演技と笑顔が印象的だった。
今後、世界の舞台に台頭してくるスター性を持っていると感じた。
それにしても日本のフィギュア界は層が厚くなったものだ。日本選手権は世界選手権と同レベルの戦いだ。
明日のフリーは白熱すること間違いなし。
またドラマチックな勝負が繰り広げられることになるんだろうな……。
という理由で中延に一杯呑みに行った。(笑
今宵の肴は「ぶりカマの塩焼き」と「もつ煮豆腐」、どちらも最高の塩梅だった。
蒲田行き最終。

帰宅してから録画していた「フィギュア全日本選手権女子ショート」を見た。
久しぶりに見た浅田真央の笑顔と鈴木明子の安定した演技に安心する。
15歳の村上佳菜子のフレッシュな演技と笑顔が印象的だった。
今後、世界の舞台に台頭してくるスター性を持っていると感じた。
それにしても日本のフィギュア界は層が厚くなったものだ。日本選手権は世界選手権と同レベルの戦いだ。
明日のフリーは白熱すること間違いなし。
またドラマチックな勝負が繰り広げられることになるんだろうな……。
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by grid303
| 2009-12-27 02:26
| Relax
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年末の思い出
小学生の頃、冬休みに入って信州から従兄弟が上京し、大井町に卓球をしに行った。
高学年になる頃には卓球がちょっとした流行で、自分のラケットとグリーンのウェアを持っていた。
ラケットは表にテンペスト、裏にコメットを貼った中国ペンだ。

テンペストは縦目の厚、コメットは表ソフト(イボイボが表面にある)だったと思う。
ラバーを貼るときの接着剤の臭いと、四角いラバーをラケットに貼ってカッターで切る時の緊張感を覚えている。
大井町に卓球をしに行ったのは、まだ自分のラケットを持つ前のことだったと思う。
「かんべ土地」という大きな看板がかかっている木造の大きな建物だったが、どの辺だったのだろうか。
かなり古くて中はうす暗いイメージがあるので、何かの建物を再利用していたのだろう。
品川区のサイトに昭和28年の大井町の写真があった。
パノラマ的に写された6枚をフォトショップで加工してみた。

大きなサイズはこちら
右にあるのは京浜東北線のホームだから、阪急デパートの屋上から品川方面を写したものと思える。
卓球に行ったのが小学校3年生とすると昭和43年ということになり、これはそれより15年も前の写真だが、
ロータリーの向うに「かんべ土地」の看板が見える。現在はバス乗り場やイトーヨーカ堂がある一帯だ。
その先には東急大井線のホームも見える。
年上の従兄弟は卓球で勝ったことに気をよくして、帰りに旗の台の駅で「田園そば」をおごってくれた。(笑
小学生の頃に見た、もうひとつ忘れられない大井町の景色がある。
大井線の改札を出て左に行くと国鉄の線路に掛かる陸橋になっており、そこを渡って左に入ると今も残る
「東小路」という飲食街路地だ。
上の写真ではホームの奥にある屋根付きの通路で陸橋は隠れてしまっている。
すっかり暮れて盛り場の灯りが輝きだす頃、その橋を渡る手前の路地で人通りを避けるようにして人だかりが
していた。
何かを売っているのだろうかと思い、好奇心から大人たちの隙間に入ってその中を覗くと、そこにあったのは
将棋盤をはさんで腕組みをする2人の大人の姿だった。10人ほどの見物人が囲んでいる。
シューっと音を立てて燃えるアセチレンランプの灯に照らし出された大人たちの真剣な表情が忘れられない。
将棋には当時から興味がないのでしばらく見物してその輪を出てしまったが、後年、あれが賭博だったと
いうことを知った。
一回いくらかの金を払って詰め将棋をする賭博で、中にはサクラを使ったインチキ勝負を見せ、その気になった
カモを餌食にする将棋屋も多かったらしい。
あの時の人だかりの中にもサクラがいたのだろうか……。
それとも打っていたのがサクラだったのだろうか……。
そんな人間くさい現場だったのかと考えるとなんだかワクワクする。
高学年になる頃には卓球がちょっとした流行で、自分のラケットとグリーンのウェアを持っていた。
ラケットは表にテンペスト、裏にコメットを貼った中国ペンだ。

テンペストは縦目の厚、コメットは表ソフト(イボイボが表面にある)だったと思う。
ラバーを貼るときの接着剤の臭いと、四角いラバーをラケットに貼ってカッターで切る時の緊張感を覚えている。
大井町に卓球をしに行ったのは、まだ自分のラケットを持つ前のことだったと思う。
「かんべ土地」という大きな看板がかかっている木造の大きな建物だったが、どの辺だったのだろうか。
かなり古くて中はうす暗いイメージがあるので、何かの建物を再利用していたのだろう。
品川区のサイトに昭和28年の大井町の写真があった。
パノラマ的に写された6枚をフォトショップで加工してみた。

大きなサイズはこちら
右にあるのは京浜東北線のホームだから、阪急デパートの屋上から品川方面を写したものと思える。
卓球に行ったのが小学校3年生とすると昭和43年ということになり、これはそれより15年も前の写真だが、
ロータリーの向うに「かんべ土地」の看板が見える。現在はバス乗り場やイトーヨーカ堂がある一帯だ。
その先には東急大井線のホームも見える。
年上の従兄弟は卓球で勝ったことに気をよくして、帰りに旗の台の駅で「田園そば」をおごってくれた。(笑
小学生の頃に見た、もうひとつ忘れられない大井町の景色がある。
大井線の改札を出て左に行くと国鉄の線路に掛かる陸橋になっており、そこを渡って左に入ると今も残る
「東小路」という飲食街路地だ。
上の写真ではホームの奥にある屋根付きの通路で陸橋は隠れてしまっている。
すっかり暮れて盛り場の灯りが輝きだす頃、その橋を渡る手前の路地で人通りを避けるようにして人だかりが
していた。
何かを売っているのだろうかと思い、好奇心から大人たちの隙間に入ってその中を覗くと、そこにあったのは
将棋盤をはさんで腕組みをする2人の大人の姿だった。10人ほどの見物人が囲んでいる。
シューっと音を立てて燃えるアセチレンランプの灯に照らし出された大人たちの真剣な表情が忘れられない。
将棋には当時から興味がないのでしばらく見物してその輪を出てしまったが、後年、あれが賭博だったと
いうことを知った。
一回いくらかの金を払って詰め将棋をする賭博で、中にはサクラを使ったインチキ勝負を見せ、その気になった
カモを餌食にする将棋屋も多かったらしい。
あの時の人だかりの中にもサクラがいたのだろうか……。
それとも打っていたのがサクラだったのだろうか……。
そんな人間くさい現場だったのかと考えるとなんだかワクワクする。
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by grid303
| 2009-12-25 15:49
| Others
|
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鈴ケ森
午前中、東大井の母親のところに行く途中、鈴ケ森刑場跡に寄った。
かつてこの刑場で最初に処刑されたのが慶安事件の丸橋忠弥だったことを思い出し、丸橋さんには
近々本の仕事でお世話になりそうなので、手を合わせていくことにした。

せっかくだったら線香を持ってくればよかったと思った。
東海道添いの品川宿のはずれにあったこの刑場では10万人以上の人間が処刑されたという。
しかし、火炙りの刑というのも、生きている人間を焼いて、それを見物人に見せるっていうんだから凄い。
後に移動されたものらしいが、火炙りに使った柱を立てていた礎石が残されている。
ほんの140年前、自分が生まれる90年前まで使われていたことを思うと生々しい。
帰りに大森の麺矢龍王で「一三五チャーシュー」を食べた。

同じ暖簾を出していても武蔵小山の方が美味い気がした。
なんか店内が暗くて地味な気分になる。
かつてこの刑場で最初に処刑されたのが慶安事件の丸橋忠弥だったことを思い出し、丸橋さんには
近々本の仕事でお世話になりそうなので、手を合わせていくことにした。

せっかくだったら線香を持ってくればよかったと思った。
東海道添いの品川宿のはずれにあったこの刑場では10万人以上の人間が処刑されたという。
しかし、火炙りの刑というのも、生きている人間を焼いて、それを見物人に見せるっていうんだから凄い。
後に移動されたものらしいが、火炙りに使った柱を立てていた礎石が残されている。
ほんの140年前、自分が生まれる90年前まで使われていたことを思うと生々しい。
帰りに大森の麺矢龍王で「一三五チャーシュー」を食べた。

同じ暖簾を出していても武蔵小山の方が美味い気がした。
なんか店内が暗くて地味な気分になる。
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by grid303
| 2009-12-20 18:10
| Foods
|
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第78回中延会議を終えて
昨晩は荏原郡中延村の「杉の木」大広間にて中延会議が開催された。
参加者の皆様、お疲れ様でした。
久しぶりにフルメンバーに近い顔合わせとなり、大変盛り上がりました。
いいもんですねえ。たまーにみんなの元気な顔を見るってのは。
それぞれの人生でいろいろありながらがんばっている姿が嬉しいや。
じたばたするってのは前向きってことですからね。
あたしらみんな、お陀仏になるまでじたばたしつづけるんでやんしょうねえ。
ねぇ、旦那。
ネタ撮り忘れ。(笑

『江戸名所図会』より
荏原郡 千束池
参加者の皆様、お疲れ様でした。
久しぶりにフルメンバーに近い顔合わせとなり、大変盛り上がりました。
いいもんですねえ。たまーにみんなの元気な顔を見るってのは。
それぞれの人生でいろいろありながらがんばっている姿が嬉しいや。
じたばたするってのは前向きってことですからね。
あたしらみんな、お陀仏になるまでじたばたしつづけるんでやんしょうねえ。
ねぇ、旦那。
ネタ撮り忘れ。(笑

『江戸名所図会』より
荏原郡 千束池
▲
by grid303
| 2009-12-13 19:11
| Relax
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あらすか
昨夜は内幸町のレストラン「アラスカ」で小学館の忘年会だった。
なんだか久しぶりにお江戸に出た感じ。
「アラスカ」は、もう17~18年前にブライダルのディレクターをやっていた頃、使ったことがある。
日比谷公園を眼下に望む店内に入ると、天井のドームに見覚えがあった。
雨に煙る街を見ながらのローストビーフ&ワインで幸せな心地に。

結婚前の2~3年、ブライダルの仕事をしていたことがあった。
「脱式場・脱ホテル」という考え方をするカップルが増え、レストランの名店やプールサイド、貸し邸宅などで
行なう結婚式とパーティーが流行りだした頃だった。
牧師をレストランに呼んで、よくある形の誓いをする式以外にも、友人が証人となる「人前式」や、
店内に仏壇を作って坊さんがお経をあげる「仏前式」などがあった。
雨の夜景を眺めているうちに、横浜市の大きなプールで行った結婚式を思い出した。
その日は簡単なリハーサルを終えると生憎の大雨となり、参列者はプールサイドのオープンレストランの
小さな屋根の下に避難した。
発注していた司会者の入りが遅れてリハーサルには参加できなかったが、もう何度も一緒に仕事をしていた人間だったので、
本番の心配はしていなかった。
しかし、式の開始時間になっても司会者が来ない。
親族は「本当に大丈夫なの!?」と心配を始め、雨は一層強くなって参列者の足元を濡らしていた。
「途中でトラブルがあったようですが、こちらに向っておりますので、もう少々お持ちください」
と落ち着いて開始時間を遅らせる旨を発表したものの、内心は冷や汗ものだ。
開始時間を遅らせるといっても限界がある。会場押さえの契約もあるし、パーティーの料理だってサービス時間が
決められている。牧師のスケジュールも自由にはならない。
10分、20分と土砂降りの雨の中で、親族の不安は益々つのっていくのがわかるが、ディレクターは
自分ひとりだったので、待つ以外にどうすることもできない。
とうとう開始予定を30分過ぎたところで、決断をしなければならなくなった。
親族に自分が進行約をするので、式を始めましょう、という提案をし、マイクの前に立った。
裏方ひとすじの人生だから結婚式の司会などしたこともないし、人前でしゃべるのは大の苦手ときている。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。~ 」
運営の不手際を詫び、自分が司会の代役を行なうことを告げて式を始めた。
司会とディレクションの二役など滞りなく進行できる自信はなかったが、やるしかない状況だった。
笑顔を装っていたが、口元は間違いなく引きつっていた。
新郎新婦の紹介などをなんとか終え、雨の中、その屋根の下で牧師が誓いの式を執り行う。
指輪の交換が済んだところで司会者が到着した。事故渋滞に巻き込まれての遅刻だった。
冷や汗をぬぐいながら乾杯前にバトンタッチ。
ブッフェが始まると雨が上がって嘘のような青空が広がっていた。
あらからもうすぐ20年が経つ。
あの頃、晴れ舞台の手伝いをさせていただいた何組もの夫婦たちは幸せな人生を送っているのだろうか……。
なんだか久しぶりにお江戸に出た感じ。
「アラスカ」は、もう17~18年前にブライダルのディレクターをやっていた頃、使ったことがある。
日比谷公園を眼下に望む店内に入ると、天井のドームに見覚えがあった。
雨に煙る街を見ながらのローストビーフ&ワインで幸せな心地に。

結婚前の2~3年、ブライダルの仕事をしていたことがあった。
「脱式場・脱ホテル」という考え方をするカップルが増え、レストランの名店やプールサイド、貸し邸宅などで
行なう結婚式とパーティーが流行りだした頃だった。
牧師をレストランに呼んで、よくある形の誓いをする式以外にも、友人が証人となる「人前式」や、
店内に仏壇を作って坊さんがお経をあげる「仏前式」などがあった。
雨の夜景を眺めているうちに、横浜市の大きなプールで行った結婚式を思い出した。
その日は簡単なリハーサルを終えると生憎の大雨となり、参列者はプールサイドのオープンレストランの
小さな屋根の下に避難した。
発注していた司会者の入りが遅れてリハーサルには参加できなかったが、もう何度も一緒に仕事をしていた人間だったので、
本番の心配はしていなかった。
しかし、式の開始時間になっても司会者が来ない。
親族は「本当に大丈夫なの!?」と心配を始め、雨は一層強くなって参列者の足元を濡らしていた。
「途中でトラブルがあったようですが、こちらに向っておりますので、もう少々お持ちください」
と落ち着いて開始時間を遅らせる旨を発表したものの、内心は冷や汗ものだ。
開始時間を遅らせるといっても限界がある。会場押さえの契約もあるし、パーティーの料理だってサービス時間が
決められている。牧師のスケジュールも自由にはならない。
10分、20分と土砂降りの雨の中で、親族の不安は益々つのっていくのがわかるが、ディレクターは
自分ひとりだったので、待つ以外にどうすることもできない。
とうとう開始予定を30分過ぎたところで、決断をしなければならなくなった。
親族に自分が進行約をするので、式を始めましょう、という提案をし、マイクの前に立った。
裏方ひとすじの人生だから結婚式の司会などしたこともないし、人前でしゃべるのは大の苦手ときている。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。~ 」
運営の不手際を詫び、自分が司会の代役を行なうことを告げて式を始めた。
司会とディレクションの二役など滞りなく進行できる自信はなかったが、やるしかない状況だった。
笑顔を装っていたが、口元は間違いなく引きつっていた。
新郎新婦の紹介などをなんとか終え、雨の中、その屋根の下で牧師が誓いの式を執り行う。
指輪の交換が済んだところで司会者が到着した。事故渋滞に巻き込まれての遅刻だった。
冷や汗をぬぐいながら乾杯前にバトンタッチ。
ブッフェが始まると雨が上がって嘘のような青空が広がっていた。
あらからもうすぐ20年が経つ。
あの頃、晴れ舞台の手伝いをさせていただいた何組もの夫婦たちは幸せな人生を送っているのだろうか……。
▲
by grid303
| 2009-12-12 13:36
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勝負に生きる女たち
「2009フィギュアグランプリファイナル」は、また安藤美姫が楽しませてくれたいい試合だった。
髪飾りを追加してますますコスプレ的になったクレオパトラの衣装は、きつい勝負を楽しもうとしている感じが
よくわかる。他の選手ではなかなかできない演出じゃないだろうか。
欧米的な考え方の影響で、オリンピックでも「まず自分が楽しむことを第一に」という発言をする選手が増えた。
実はあまりこういう発言は好きではなかった。
勝負なのだから勝つことを第一に考えなければいけないのは当たり前の話で、リラックスする手段として
そういう発言をしているのはわかるのだが、やる気、闘志といった気持ちを前面にだしてもらいたいところだ。
でも、今回の安藤美姫の衣装と演技を見て、彼女が「楽しむ」と言う意味がよくわかった。
彼女が言う「楽しむ」とは、自分を最高の状態に置くということで、それは勝負に一番必要な「自信」を
持つ手段に他ならないのだ。
そう考えると、やはり勝負師だなあと思う。
世界レベルの戦いをしているのだから当然か……。

フィギュアは華麗に見えてもやはり極限の筋力とメンタルを必要とするスポーツで、好調不調の波がとても激しいが、
オリンピックまで3カ月を切った今、好調の波に乗っているのはとてもいい状況に思える。
どうかこのまま好調をキープしてオリンピックの銀盤を飾ってほしいものだ。
苦労の末復帰した鈴木明子の演技も見ていて感動を覚えるものがあった。是非オリンピックに行ってほしい。
不調に苦しみながら必至のトレーニングを続けている浅田真央の復調も楽しみだ。
最悪の絶不調や巨大なプレッシャーを乗り越えて勝負に挑む姿に感動がある。だから応援したくなる。
それがスポーツ観戦の醍醐味ってやつだと思う。
そういえば、女子プロゴルフツアーの最終戦もいい試合だった。
シーズン序盤好調だったものの長い不調に悩んだ横峯さくらが、諸見里しのぶや有村智恵らの猛追をかわして
優勝と賞金女王を手にした試合だ。

最終日は運が味方したショットが勝負の決め手となった。
運を自分のものにできなければ勝負には勝てないのは最高レベルのスポーツでも同じことだが、運を呼び込む
ためには最高レベルの技術が必要であることは言うまでもない。
運が良くて勝ったのではなく、運を掴む力があったから勝ったのだ。勝負というのはそういうものだと思う。
勝負の世界に生きる女たちは美しくてカッコイイ。
髪飾りを追加してますますコスプレ的になったクレオパトラの衣装は、きつい勝負を楽しもうとしている感じが
よくわかる。他の選手ではなかなかできない演出じゃないだろうか。
欧米的な考え方の影響で、オリンピックでも「まず自分が楽しむことを第一に」という発言をする選手が増えた。
実はあまりこういう発言は好きではなかった。
勝負なのだから勝つことを第一に考えなければいけないのは当たり前の話で、リラックスする手段として
そういう発言をしているのはわかるのだが、やる気、闘志といった気持ちを前面にだしてもらいたいところだ。
でも、今回の安藤美姫の衣装と演技を見て、彼女が「楽しむ」と言う意味がよくわかった。
彼女が言う「楽しむ」とは、自分を最高の状態に置くということで、それは勝負に一番必要な「自信」を
持つ手段に他ならないのだ。
そう考えると、やはり勝負師だなあと思う。
世界レベルの戦いをしているのだから当然か……。

フィギュアは華麗に見えてもやはり極限の筋力とメンタルを必要とするスポーツで、好調不調の波がとても激しいが、
オリンピックまで3カ月を切った今、好調の波に乗っているのはとてもいい状況に思える。
どうかこのまま好調をキープしてオリンピックの銀盤を飾ってほしいものだ。
苦労の末復帰した鈴木明子の演技も見ていて感動を覚えるものがあった。是非オリンピックに行ってほしい。
不調に苦しみながら必至のトレーニングを続けている浅田真央の復調も楽しみだ。
最悪の絶不調や巨大なプレッシャーを乗り越えて勝負に挑む姿に感動がある。だから応援したくなる。
それがスポーツ観戦の醍醐味ってやつだと思う。
そういえば、女子プロゴルフツアーの最終戦もいい試合だった。
シーズン序盤好調だったものの長い不調に悩んだ横峯さくらが、諸見里しのぶや有村智恵らの猛追をかわして
優勝と賞金女王を手にした試合だ。

最終日は運が味方したショットが勝負の決め手となった。
運を自分のものにできなければ勝負には勝てないのは最高レベルのスポーツでも同じことだが、運を呼び込む
ためには最高レベルの技術が必要であることは言うまでもない。
運が良くて勝ったのではなく、運を掴む力があったから勝ったのだ。勝負というのはそういうものだと思う。
勝負の世界に生きる女たちは美しくてカッコイイ。
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by grid303
| 2009-12-06 17:56
| Sports
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Comments(6)
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http://www.geocities.jp/grid303
by grid303
最新のコメント
だから猫はネズミを追っか.. |
by grid303 at 22:13 |
今年もよろしくお願いしま.. |
by okusan at 12:12 |
この島の猫は「世界猫歩き.. |
by grid303 at 12:58 |
NHK ダーウィンが来た.. |
by okusan at 10:40 |
返事ありがとうございまし.. |
by logic@サプライズ家庭教師 at 18:20 |
まとめ記事を拝見しました.. |
by grid303 at 14:11 |
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