蒲田大阪
蒲田の大阪的居酒屋でひとり酒。
オムソバを平らげてから、牛スジと唐揚ハーフをたのんだ。

先日の池上彰さんと宇賀ちゃんの「日本人がしらない日本(だっけ?)」はいい番組だった。
寺や神社の話にはじまり、日本人の宗教感やそうなった歴史をわかりやすく解説していた。
出演者たちは目からウロコといった感じで聞いていたが、あれを義務教育でやってほしいわけで。
相変わらず宗教を聞かれて無宗教だとこたえる日本人が多いのだが、宗教をもたない人間なんて共産主義者いがいにはいないはずだ。
やはり、生まれたときは神社にお参りして、教会で結婚式を挙げて、死んだらお寺の坊主がお経をあげるという多くの日本人は、正々堂々と世界に向けて「自分の宗教は日本教」だと言っていいと思う。日本人だから仏教徒だと応えておけばいいというのは間違い。
そもそも、寺と神社を明確に区別するようになったのは明治維新以降のことで、一体となっていた時代が圧倒的に長い。なんでも許容してしまう日本人にとって、仏は神のにとつとして認識されていたからだ。
外来宗教だった仏教が庶民の間に浸透しだすのは、鎌倉仏教と呼ばれる日本式仏教が広まってからなのだが、現在の憲法解釈問題と同じように様々な解釈を広げていくつも成立した鎌倉仏教は、はたして仏教と呼んでいいのだろうか、とすら思うくらい釈迦の仏教からは飛躍したものだ。
なぜ日本人は坊さんがお経をあげるとありがたがるのか・・・
なぜ死んだらお経をあげるのか・・・
お経というものは、釈迦が言ったとされることを何百年も語り継ぎ、誰かが文字にしたもので、いわば釈迦の教えで、まあ仏教を学ぶ人間にとっては教科書のようなものだ。
人が死んで、釈迦の教えを朗読したらなにがどうなるというのだろう。僧が死人の魂を導くとか、その手伝いをするといった教えなど釈迦は残していない。
ましてや幽霊がお経を嫌がる理由など、なにもない。(笑
戒名などというものはなんの意味もない。
これらはすべて、徳川家康が定めた総檀家制度の影響なのだ。
織田信長でもとうとう勝つことができなかった宗教勢力を弱体化させるために、各地の寺に役所のような役目を与えて共存の道を作り、市民も管理させるという一石二鳥の制度を考えた家康はさすがだと思う。
葬式といえば坊主、お経はありがたいもの、とうい構図ができたのは江戸時代なのである。
現在は、僧というものが職業になり、生業としてお経をあげては金をもらい、戒名をつけては収入のひとつとしているだけだ。
だいたい浄土真宗以外の宗派で、僧が婚姻していいわけがない。
だから仏教僧と呼んではいけない人たちが多い。というか、だらけ。
現在の日本人は、なにも考えずに全国に7~8万もあるお寺を食わせてやっている気前のいい人たちなのである。
時は流れて明治維新。
西洋に対抗できる日本を作ろうと、海外に出て行った先人たちは考える。
民主主義は、一神教の神の下にみな平等だという理由づけでひとり一票が実現したものだということがわかり、日本にも取り入れたいのだが、元来が多神教である日本人には絶対的な神など存在しない。
唯一可能だったことが、明治天皇を神にする、いわば天皇を神に戻すことだったわけだ。
それが国家神道という形で日本人を納得させ、動かして、70年後に国を滅ぼしてしまう。
国家神道は一神教に対抗するため、苦し紛れに作られた宗教なのである。
神だと教えられて育ったものが、ある日、人間宣言をしたのだから、宗教観は崩壊する。
もう、日本人はボロボロの状態だったと言っていい。
でも、戦後のあの状態において、GHQが日本をキリスト教国にできなかったのは、やはり、古代から日本人のDNAに受け継がれてきた宗教感があったからなのだ。
たとえキリスト教を強制しても、日本人はスポンジに水がしみ込むように吸収してしまい、いいように解釈してしまうから、一歩間違えればそれが凶器になることがわかったのではないかと思う。
だから、日本に欧米で生まれた民主主義が根付くことはない。あくまでも日本式民主主義であって、日本式新仏教なのだ。
その「解釈」というやつが今、問題になっているわけで。
ムハンマドという預言者が神から聞いたことをまとめたとされる「クルアーン」に書かれていることを確実に細かく実行するのがイスラム教という宗教。
だけど、いくら細かく決め事を作っていようと、7世紀初頭に書かれた書物ですべての問題が解決できるわけがない。
そこでこれはOKがNOかという解釈をしなければいけなくなるのだが、この解釈ができるのはカリフ(シーア派ではイマーム)と呼ばれる人間だけで、誰を解釈者にするかというもめごとで、イスラムは50年も経たずに分裂するのである。
日本でいうと飛鳥時代から、解釈者を巡って争いをしている宗教なのだ。
なぜそのような宗教がここまで広まったのかといえば、とにかくクルアーンに書かれていることを確実に守ればいいというわかりやすさと、働かなくても食っていけるという間口の広さにあるのではないかと思う。
富める物は貧しいものに与えなければいけないから、働かなくても生きていける。
与えられても礼を言う必要などない。クルアーンにそう書かれているからだ。
人道支援と言うけれど、イスラムの人たちにとってみれば当然のことなのである。
しかも、一旦費用を渡してしまえばその国の収支管理などできないわけだから、日本が軍備増強の手伝いをしていると言われても反論できるものではないし、実際、そうなっているはずだ。
だから、そういう宗教で成り立っている国なり組織には触れなければいいのだが、もうそんな他人事を言っていられる状況ではない。
旧約聖書に始まるユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教がなんらかの原因となって、世界大戦となる日がやがて来るように思えてしかたがない。
日本は必ず戦争に巻き込まれる日がくる。
そのとき、日本政府がどうやって国民を守るのか、もう方向性を定めなければいけない時期にきているのだと思う。
現状を見ると、ロシアや中国がやはり元凶になりそうな気がするな・・・
ところで明治神宮に初詣する何万人もの日本人は、なぜ明治天皇に祈るのだろう?
自分が何に対して手を合わせて祈りを捧げているのかくらいは、わかるようにならなければいけない。
中国や韓国が文句を言うのなら、どういう形にしろ国のために命を捧げた魂を祀る靖国よりも、国家神道の根源ともいえる明治天皇を祀った明治神宮のほうなんじゃないか?
なんて、あれやこれやと国を憂いて考えながら、威勢のいいおねえさんに黒ホッピーの中をたのんだ。
キャベツ焼き、どうしようかな、たのんじゃうかな……。
(とりとめのない酔っ払いの長文失礼!!)
オムソバを平らげてから、牛スジと唐揚ハーフをたのんだ。

先日の池上彰さんと宇賀ちゃんの「日本人がしらない日本(だっけ?)」はいい番組だった。
寺や神社の話にはじまり、日本人の宗教感やそうなった歴史をわかりやすく解説していた。
出演者たちは目からウロコといった感じで聞いていたが、あれを義務教育でやってほしいわけで。
相変わらず宗教を聞かれて無宗教だとこたえる日本人が多いのだが、宗教をもたない人間なんて共産主義者いがいにはいないはずだ。
やはり、生まれたときは神社にお参りして、教会で結婚式を挙げて、死んだらお寺の坊主がお経をあげるという多くの日本人は、正々堂々と世界に向けて「自分の宗教は日本教」だと言っていいと思う。日本人だから仏教徒だと応えておけばいいというのは間違い。
そもそも、寺と神社を明確に区別するようになったのは明治維新以降のことで、一体となっていた時代が圧倒的に長い。なんでも許容してしまう日本人にとって、仏は神のにとつとして認識されていたからだ。
外来宗教だった仏教が庶民の間に浸透しだすのは、鎌倉仏教と呼ばれる日本式仏教が広まってからなのだが、現在の憲法解釈問題と同じように様々な解釈を広げていくつも成立した鎌倉仏教は、はたして仏教と呼んでいいのだろうか、とすら思うくらい釈迦の仏教からは飛躍したものだ。
なぜ日本人は坊さんがお経をあげるとありがたがるのか・・・
なぜ死んだらお経をあげるのか・・・
お経というものは、釈迦が言ったとされることを何百年も語り継ぎ、誰かが文字にしたもので、いわば釈迦の教えで、まあ仏教を学ぶ人間にとっては教科書のようなものだ。
人が死んで、釈迦の教えを朗読したらなにがどうなるというのだろう。僧が死人の魂を導くとか、その手伝いをするといった教えなど釈迦は残していない。
ましてや幽霊がお経を嫌がる理由など、なにもない。(笑
戒名などというものはなんの意味もない。
これらはすべて、徳川家康が定めた総檀家制度の影響なのだ。
織田信長でもとうとう勝つことができなかった宗教勢力を弱体化させるために、各地の寺に役所のような役目を与えて共存の道を作り、市民も管理させるという一石二鳥の制度を考えた家康はさすがだと思う。
葬式といえば坊主、お経はありがたいもの、とうい構図ができたのは江戸時代なのである。
現在は、僧というものが職業になり、生業としてお経をあげては金をもらい、戒名をつけては収入のひとつとしているだけだ。
だいたい浄土真宗以外の宗派で、僧が婚姻していいわけがない。
だから仏教僧と呼んではいけない人たちが多い。というか、だらけ。
現在の日本人は、なにも考えずに全国に7~8万もあるお寺を食わせてやっている気前のいい人たちなのである。
時は流れて明治維新。
西洋に対抗できる日本を作ろうと、海外に出て行った先人たちは考える。
民主主義は、一神教の神の下にみな平等だという理由づけでひとり一票が実現したものだということがわかり、日本にも取り入れたいのだが、元来が多神教である日本人には絶対的な神など存在しない。
唯一可能だったことが、明治天皇を神にする、いわば天皇を神に戻すことだったわけだ。
それが国家神道という形で日本人を納得させ、動かして、70年後に国を滅ぼしてしまう。
国家神道は一神教に対抗するため、苦し紛れに作られた宗教なのである。
神だと教えられて育ったものが、ある日、人間宣言をしたのだから、宗教観は崩壊する。
もう、日本人はボロボロの状態だったと言っていい。
でも、戦後のあの状態において、GHQが日本をキリスト教国にできなかったのは、やはり、古代から日本人のDNAに受け継がれてきた宗教感があったからなのだ。
たとえキリスト教を強制しても、日本人はスポンジに水がしみ込むように吸収してしまい、いいように解釈してしまうから、一歩間違えればそれが凶器になることがわかったのではないかと思う。
だから、日本に欧米で生まれた民主主義が根付くことはない。あくまでも日本式民主主義であって、日本式新仏教なのだ。
その「解釈」というやつが今、問題になっているわけで。
ムハンマドという預言者が神から聞いたことをまとめたとされる「クルアーン」に書かれていることを確実に細かく実行するのがイスラム教という宗教。
だけど、いくら細かく決め事を作っていようと、7世紀初頭に書かれた書物ですべての問題が解決できるわけがない。
そこでこれはOKがNOかという解釈をしなければいけなくなるのだが、この解釈ができるのはカリフ(シーア派ではイマーム)と呼ばれる人間だけで、誰を解釈者にするかというもめごとで、イスラムは50年も経たずに分裂するのである。
日本でいうと飛鳥時代から、解釈者を巡って争いをしている宗教なのだ。
なぜそのような宗教がここまで広まったのかといえば、とにかくクルアーンに書かれていることを確実に守ればいいというわかりやすさと、働かなくても食っていけるという間口の広さにあるのではないかと思う。
富める物は貧しいものに与えなければいけないから、働かなくても生きていける。
与えられても礼を言う必要などない。クルアーンにそう書かれているからだ。
人道支援と言うけれど、イスラムの人たちにとってみれば当然のことなのである。
しかも、一旦費用を渡してしまえばその国の収支管理などできないわけだから、日本が軍備増強の手伝いをしていると言われても反論できるものではないし、実際、そうなっているはずだ。
だから、そういう宗教で成り立っている国なり組織には触れなければいいのだが、もうそんな他人事を言っていられる状況ではない。
旧約聖書に始まるユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教がなんらかの原因となって、世界大戦となる日がやがて来るように思えてしかたがない。
日本は必ず戦争に巻き込まれる日がくる。
そのとき、日本政府がどうやって国民を守るのか、もう方向性を定めなければいけない時期にきているのだと思う。
現状を見ると、ロシアや中国がやはり元凶になりそうな気がするな・・・
ところで明治神宮に初詣する何万人もの日本人は、なぜ明治天皇に祈るのだろう?
自分が何に対して手を合わせて祈りを捧げているのかくらいは、わかるようにならなければいけない。
中国や韓国が文句を言うのなら、どういう形にしろ国のために命を捧げた魂を祀る靖国よりも、国家神道の根源ともいえる明治天皇を祀った明治神宮のほうなんじゃないか?
なんて、あれやこれやと国を憂いて考えながら、威勢のいいおねえさんに黒ホッピーの中をたのんだ。
キャベツ焼き、どうしようかな、たのんじゃうかな……。
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