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徒然な視点

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by yoshiaki sato

嵐の夜

 6月18日、NTT関東病院のCCUに入っていた母の様態が急変し、かけつけてくれた叔母夫婦と妹夫婦、カミさんの6人でドクターの話を聞いた。

5月31日に敗血症ショックを起こして呼吸停止に至り、リハビリ病院から関東病院に救急搬送されていたのだが、思えばあそこからは延命治療のようなものだった。
もともと悪かった腎臓が機能しなくなり、ドクターの賢明な判断で人工呼吸器と透析器を装着し、昇圧剤で血圧を維持した。
2~3日がヤマという状態だったのだが、まったく昭和ひとけたの人たちの生命力はすごいもので、10日後には自呼吸が復活し、腎臓が機能しだして尿も排泄されるようになった。
11日には人口呼吸器を外し、15日には透析器も外された。
意識が戻る見込みはほぼなかったけど、耳元で声をかけると薄目を開けて眼球が動くので、耳は聞こえているのだと思った。
そのまま安定した状態が続けば、CCUから一般病棟に移されるかもしれないということだったが、週明けの18日朝に再び悪化し、最後の手当てとして透析器が再装着され、昇圧剤で血圧を上げていることが説明された。
たぶん1日のうちに、最期を迎えるだろうと感じる。
関東病院に運ばれてから、2度目の人口呼吸器は使わない、電気ショックなども行わないという希望をドクターに伝えてあった。
これはきっと体験しないとわからない判断だと思う。
体だけ生かしておくことはできてしまうかもしれないが、意識が戻る可能性がほぼないという状態で機械によって生命を維持することは、誰にとっても幸せなことではないと、この3週間で実感したのだ。
あとは本人の生命力に任せよう……、それが寿命というものじゃないだろうか……
そう思った。

嵐の夜、眠りに入ろうかという午前1時30分、枕元に置いてあった携帯電話の着信音が鳴った。
妹に連絡し、カミさんと病院に向かう。
病院に到着したのは午前2時すぎだったが、CCUの病室に入るとベッドの向こうに置いてある液晶モニターの数字は静かに0を示していた。
6月20日永眠。享年82歳。

朝になってタバコをすいに外に出ると、台風一過の青空が広がっていた。
嵐の夜_b0024261_15115729.jpg

悲しいというような暗い感情は微塵も起こらず、
「おつかれさん」
「子供たち二人は最期まで親不孝だったけど、結構いい人生だったんじゃないか?」
そんな、なんだか少し微笑ましい気持ちだった。

生前にご厚情をいただいた皆様、ありがとうございました。
3年前、父が亡くなったときと同じように、昨日、家族と親戚が集まって荼毘に付し、身内に声をかけて母を偲んで楽しむ食事会を開催することにしました。

あー場所を早く決めなきゃ……、
あれをやってこれをやって……、
喪主も2回目となると、段取りもわかってくるものです。(笑
by grid303 | 2012-06-22 15:23 | Others