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徒然な視点

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by yoshiaki sato

七百二十八回忌

 一昨日から今日まで本門寺のお会式が行なわれている。
昨晩は池上一帯が交通規制されての万灯行列だった。
子供の頃に来て以来だから30数年ぶりに見たが、やはりこれだけ大規模な法要というのはそうそうない。
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昔と変わったのは、万灯がバッテリー内蔵の台車に乗っていることと、各地から集まる講の人たちの半纏姿が
多くなったことだろうか。
昔は、半纏を着て纏を振るいわゆる火消役の後ろから、白装束を着た大人たちが一心不乱に太鼓を叩きながら
お題目を唱えて歩いていた。
宗教のことなど何も知らない子供心に、不気味さを感じたものだった。
今の行列は、大人も子供も男も女も半纏を着て、大声を上げながら鐘や太鼓を踊り打ちするようなところが多く、
祭りで神輿をかつぐ若い衆と同じ雰囲気だ。
もちろん、皆、日蓮宗の信者なのだろうが、宗教色が薄れて馬鹿騒ぎをする祭りに近いノリになっているのは、
少々残念な気がした。
でも、宗教、というか日本の仏教はその時代時代において解釈を広げ、スタイルを変えてきたものだから
今の時代はこれでいいのかも知れない……。
日蓮が命をかけて主張し続けた「妙法蓮華経」の教えを今も大切にしたいと思っている人たちが、宗祖の命日に
集まっているのだったら、それはそれで周りから口を挟む問題ではない。
日蓮宗は、念仏は地獄に落ちると、他の宗派を徹底的に攻撃した宗派で、孤立したり批判されれたりする事は
「法難」として当然のことと考えていて、批判が出れば日蓮の教えが正しかったという証明になるわけだから、
何を言われても自分たちが正しいという頑固さがなければいけない。
だからお題目すら唱えていない万灯行列の馬鹿騒ぎが批判されるのは正しい姿なのかも知れない。
ただ、そうなると、自分にとって不利なことが何でも「教え」「試練」で許容されてしまい、自分たちと
違う考え方をする人間の理解に欠けてしまう問題がある。
他を認めないことで救われるというところがややこしい。でもそういう宗教だからしかたがない。

池上の街が年に一度この時だけガラリと姿を変える。
考えてみれば、池上という街も池上線もこのお寺のためにできたわけだから、この日のためにある街と言っても
いいのかも知れない。
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下は11日の本堂。夜の9時すぎだけど空が綺麗に写っていた。
by grid303 | 2009-10-13 14:06 | Others